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自己再評価2のつづき [今日のこころ]

ある人に会い、食事しながら話した。

「病院に寄ってきたら混んでいて時間に遅れそうで、急いで歩いてきたところ」
間にあって良かったなと思いつつ、気分がバタバタしていて申し訳ないと思って、
そこを察してもらおうと事実をそのまま伝えた。

料理が出てきて「以前は食べれなかった一人分が食べれるのが嬉しい」
と幸せを感じたので、それもそのまま言った。

自分は良く考えて物を言うタイプではなく、
口に出しながら(あるいは文字にしながら)考えをまとめるタイプ。
腹の中は空っぽでストレートに出してしまうのだ。

すると、相手は急に不機嫌になった。
驚いたことに、
実家の母のような口調で、母の言うようなことを言い始めた。

「私に比べたら恵まれてるのに…」

家、良い子ども、いい感じの夫、いい鞄、いい財布、健康…。
人が欲しがるものを全部持っているのになぜ自分が変わらないのか。
自分の気持ち一つなのに。
何事も決めるのは自分で、全部自分のせい。
自分が変われば周囲(夫)も変わる。
夫が怖いとかそんなおかしなこと言ってるのか、
どんな酷い人でも一緒にいてくれるからありがたいと思わないのか。
まだそんな所で堂々巡りして抜け出せないのか。

意味が分からない。
相手の何か(おそらく相手自身の奥底の何か)必死な気持ちと、
過去に思い通りに行かなかったことの責任を押し付けたい気持ち、
不幸な?自分を助けてやろうとする気持ちは伝わってきた。

相手があまりに必死で、あまりに辛そうで可哀想になった。
口では幸せだと何度も繰り返すが、悲壮感が漂っている。

何時間かそのまま話を聞いたのに、
その人が何を言わんとしているのか、
申し訳ないことにその場はよくわからないまま別れた。

帰宅して考えた。
食べ物が嬉しい「理由」をつけたり、「病院」に行くと言ったり、
人によるイメージの違いで「不幸そうにも見えるもの」を
口に出したのが失敗だったと気づいた。

「病院に寄ってきた」とは、事実を言ったに過ぎない。
自分の心の奥を深読みすれば、ついでで用事を済ませられるぐらいに、
動きも軽やかになり、自分の心身がとてもいい状態になったという意味だ。

「食べれるのが嬉しい」というのも事実そのまま。
今は家族にそれほど罪悪感や良心の呵責を感じず、家から逃げるためでもなく、
素直に外食を嬉しいと感じられるようになってきて喜ばしいという意味だ。
それはDVだったからではなく、自分の気持ちが変わってきたから嬉しいという意味。

なぜか、その人には
「自分は苦労して不幸で仕方ない」と言っているように聞こえたらしい。
「苦労したように思ってもらいたい」ように受け取れたということだ。
マイナス思考で深読みすれば、そうとも取れると反省……遅かったが。

自分はあくまで自己確認の段階の、一つのやり方を試しているだけだったが、
それで不快な思いをされた方がいらっしゃったら、大変申し訳なく思う。

不幸を装う感覚は自分には無い。
そもそも、他者と比較して自分が不幸とは思っていないから。

次は比較について、考えてみようと思う。
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